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[ 欄 外 コ ラ ム ]
このディスコグラフィーを作成して行く途中で、(当方で確定できない)様々な疑問点が生まれて来ました。
基本的には該当ページ内で触れますが、分量が多い等の場合には、この [欄外コラム] で取り上げます。
それらに関しては、当方が未見の記事や関係者の証言等で、(当方にとって)納得できる結論が導き出されるまで、
疑問のまま問題提起しておきたいと思います。
(一応、当方が考える仮説も提出しておきますが、もちろん解決したら、それを掲載します)
INDEX
(数字)をクリック
(1) 「こっちを向いて」は何故ジュリーがリード・ヴォーカルではないのか
(2) ワイルド・ワンズのレコードへの参加疑惑
(3) 「可愛いアニタ」(「愛するアニタ」)の謎
(4) 園まりとのレコーディング
(5) 幻のスタジオ録音ファーストLP
(6) 2種類のライヴ盤における加橋かつみのウエイトの相違
(7) LP『世界はボクらを待っている』の特典3Dフォトのアイデア
(8) 「シー・シー・シー」でのワンポイント作家交代の理由
(9) 「廃虚の鳩」のジャケット・デザイン
(10) LP『ヒューマン・ルネッサンス』の構想
(11) 「青い鳥」シングル・カットの経緯
(12) 最近出版された加瀬邦彦著「ビートルズのおかげです」を読んで
(13) タイガースのメンバー・チェンジの論理
(14) シングル「嘆き」と「スマイル・フォー・ミー」の連続リリースに関する疑問
(15) 沢田研二と加橋かつみのソロ・アルバム制作の背景
(16) 「あなたとタイガースのクリスマス」で締め括った1969年の状況

[欄外コラム(1)] 「こっちを向いて」は何故ジュリーがリード・ヴォーカルではないのか [欄外コラム] のINDEXへ
デビュー・シングル「僕のマリー」、B面は岸部修三リード・ヴォーカルの「こっちを向いて」第1回目としては、いきなりデビュー・シングルから大きな疑問が。
何故、B面の「こっちを向いて」は岸部修三がリード・ヴォーカルなのか、というより、やはり専門のヴォーカリストである沢田研二が何故リード・ヴォーカルを取らなかったのでしょう?

日本のポピュラー音楽史においてグループ・サウンズが画期的だったことの1つとして、以前のロカビリー時代や歌謡曲とは異なり、「スター歌手+バック・バンド」という形ではなく、「メンバー(全員)が演奏して唄うグループ」だったことが挙げられる。
とはいえ、やはりシンガーには最も注目が集まるし、グループの顔として分かり易いため、スター的なヴォーカリストが必要ともされたわけで、ビートルズ的な編成よりは、ヴォーカル専門のミック・ジャガーがいるローリング・ストーンズ的なバンドが多くなったと思われる(もちろん、ストーンズの他にも、エリック・バードンをフィーチャーしたアニマルズ等に音楽的影響をダイレクトに受けたせいもあるだろうが)。
そのために、前述のグループ・サウンズの意義も段々と薄れることになるのだが、それはいわばジュリーを擁するタイガースの大きな成功があった結果とも言える。

もともと4人編成で(唄ってもいた)バンドにシンガーとして沢田研二が参加したところから、タイガースの歴史が始まった。
もちろん、前史としての4人時代は欠かせないにしても、やはりこのグループが何故あの「タイガース」だったのかを考えると、そのように言って差し支えないと思う(ただし、逆にジュリーだけが重要だということではまったくありませんので、念のため)。 そして、「沢田研二が唄うバンド」としてスカウトされ、そしてレコード・デビューに至ったはずだ。
確かに、タイガースは全員がヴォーカルもOKだったにしても、ルックスや声質といった面もさることながら、とにかく基本的なバンド編成からして、デビュー・レコードのAB面で沢田研二がリード・ヴォーカルというのは、他のメンバーにとっても異存のないことだと思われるのだが。

しかし、最も初期には「サリーと(彼の)プレイボーイズ」と名乗っていたバンドとしてのメンバー誰かの主張が通ったのか。
いや、まだ何の実績も無い新人の若者達にとっては、レコードを出せるだけでも大変なことであり、ましてやその内容に注文を付けることなどは考えも及ばなかったはず。
では逆に、プロダクション側が、グループ・サウンズ(という言葉は当時は無かったにしても)の根本に戻って、必ずしも専門シンガーだけがリード・ヴォーカルを取るわけではないということをアピールするつもりだったのだろうか。
いや、まずは世に出なければ(そして売れなければ)何も始まりはしないデビュー・シングルで、そんな本質論を展開することは、まったく芸能界らしくない。

というわけだが、今のところ最も考えられるのは、作曲家のすぎやまこういち氏の意向だったということですね。
それまでのようにレコード会社お抱えの作家ではなく、テレビのディレクターも経験していた氏は、やはりグループ・サウンズが旧来の歌謡界を変革する画期的な潮流になるはずだと確信し、ブルー・コメッツやスパイダース等とは異なる、まったく芸能界に染まっていない新人バンドで、それを世に問おうと考えたのではないか。
レッスンしてみて、メンバーそれぞれに大きな可能性があることも分かったので、逆に何も確定してないデビュー盤なのだから、そのB面でグループとしての幅の広さを試してみようと考え、まずは岸部修三にリード・ヴォーカルを取らせてみた、と。

デビューにあたってのグループ名を一発で「ザ・タイガース」に決めたと言われる氏ならば、メンバー側はもちろん、プロダクション側も異議は唱えなかったと思われる(プロダクション側も、最初はタイガースに莫大な期待を寄せていたわけでもないという指摘もあることですし)。
そして、ある程度の結果が出た次のシングル以降では、そうした方向ではなく、リード・ヴォーカルを取るシンガーをジュリーに固定した上での音楽面のチャレンジという方向にシフトしたのだろう(デビュー・シングルの時とは異なり、セカンド・シングル用のセッションでは「シーサイド・バウンド」「星のプリンス」「白いブーツの女の子」と3曲録音する余裕が出来たわけだから、そのつもりならば、1曲はジュリー以外のリード・ヴォーカルをフィーチャーしてもよさそうなのに、していない)。
でも、加橋かつみがリード・ヴォーカルを取る、後の「花の首飾り」の時には、デビュー・シングルに続くチャレンジ第2段階というつもりもあったかもしれない。
最後に、関連するもうひとつの疑問を(同じようで、実は大いに違うことだと思いますが)。
それは、沢田研二以外のメンバーの中で、「こっちを向いて」でのリード・ヴォーカルが何故、岸部修三になったか、ですね。
これも、上記のように、すぎやま氏が鍵を握っていることでしょうが、やがてタイガースではジュリーが大きくクローズ・アップされていくにしても、デビュー・シングルB面のヴォーカルが、他の誰でもなく岸部修三だったことは、「美女と野獣のバンド」と規定すべきタイガースの本質に実に的確に沿っていた、と(筆者は)思うのです。 たまたま順番として、まずリーダーから、ということではなかったはず。

さて、真実は…。
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