このページは新しいウィンドウで開いているはずですので、[欄外コラム] 以外のページに移る時には(基本的に)このウィンドウを閉じてください |
[欄外コラム] の前ページへ | 次ページへ |
[欄外コラム(10)] LP『ヒューマン・ルネッサンス』の構想 | [欄外コラム] のINDEXへ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
最初に一言。 例によって、このコラム欄の内容で、データ部分以外のほとんどは、あくまで筆者の私見・推察ですので、念のため。 さて、1968年前半までには、見掛け上は紛れもない日本のトップ・スターになっていたタイガースだったが、メンバーのミュージシャンとしてのプライドは決して満たされていなかったと思える。 特に、最も近い存在と言える他のGSのメンバー(ワイルド・ワンズの加瀬邦彦)が作曲したシングル「シー・シー・シー」(1968年7月発売)のオリコン・チャート1位という結果は、逆にタイガースのメンバーを屈辱的な気持ちにさせたのではないか。(⇒[欄外コラム(8)] 参照/今のページにはブラウザー自体の「戻る」ボタンで) GSのルーツである英国のビートルズを始めとする、いわゆるヴォーカル&インストゥルメンタル・グループの基本は、自ら曲を作り、それを自ら演奏しながら唄う、ということにあったはずなのだが、一般的、マスコミ的には「日本のビートルズ」と捉えられたタイガースとはいえ、いや、であるからこそ、その音楽性に関しては「人気だけはあるけどねえ…」という常套句で切り返されたわけなのだ。 だが、そんな人気者ゆえのバッシングを抜きにしても、この時点までタイガース・メンバーの作った曲がレコード化されたことが無かったことは事実であり、また演奏面では、ライヴ盤等を聴く限り、特にリード・ギターの存在感が薄いことは客観的に指摘できると思う。 他のGSでは、エレキ・インスト・バンド系列のブルー・ジーンズ等の寺内タケシやシャープ・ファイブの三根信宏といったベテラン・テクニシャンは当然ながら、ブルー・コメッツの三原綱木、スパイダースの井上孝之、ワイルド・ワンズの加瀬邦彦等の先輩達はもちろん、それに続くA級からB級バンドまで、例えばゴールデン・カップスのエディ藩、ランチャーズの喜多島修、ビーバーズの石間秀樹、ダイナマイツの山口冨士夫等々、いずれもリード・ギタリストはGS界で一目置かれる存在であり、さらにはアイドルとしてのライバルであったテンプターズも松崎由治という独特の個性を持つ弾き手を擁していたのである。 さらに、スタジオ録音のレコードでは演奏していないのではないかという噂も、タイガースには常に付きまとった。 もちろんストリングスやホーン類は他のGSでも(そう、かのビートルズでも)外部ミュージシャンが演奏したのだが、基本的な楽器はレコードでもメンバーが演奏するのが当然のことだったはずだ。 特に当時のフィリップス系GS、スパイダース、テンプターズ、カーナビーツ、ジャガーズ等は、担当ディレクター・本城和治の「そうじゃないと、グループ・サウンドじゃない」という基本方針で、すべてレコーディングでも自分達で演奏していたという。 氏はこうも語っている、「スタジオ・ミュージシャンまかせじゃ、みんな同じサウンドになっちゃって、それがいけないんじゃないんですか。 結局、筒美京平さんやすぎやまこういちさんのものって、大体そうじゃないですか。 すぎやまさんなんか、特にそうかもしれない」(2000年発売/CDボックスセット「カルト GS BOX」付録ブックレットのインタビューより) しかし、タイガースの人気は他のGS全部を合計した程にもあった感があり、アイドル・タレントとしての仕事のスケジュールも殺人的なまでに詰まっていたとなれば、渡辺プロ側は楽器の練習に取るべき時間を後回しにしたのではないだろうか。 しかも、演奏しなくてはならない音楽は作曲家がレベルの高さを求めているために充分なリハーサル時間が必要とすれば、もちろんメンバーが積極的にOKしたとは思えないが、レコードでの演奏はほとんど他人に任せるということがあったとしても、やむを得ない選択だったろう。 後の「ラヴ・ラヴ・ラヴ」のレコーディングで当時ゴールデン・カップスのミッキー吉野がキーボードを担当したことが本人の口から語られているが、ひょっとしたら、人気絶頂期の「シー・シー・シー」あたりでも、他のミュージシャンが演奏を担当したのかもしれない(その場合、作曲した加瀬邦彦が参加した可能性は高いが、同じ渡辺プロ所属で実力派ギタリスト・水谷公生がいたアウト・キャスト→アダムスのメンバーあたりも有力か。 なお、当時のスタジオ・ミュージシャンの仕事はジャズ系プレイヤーの生業だったことも多いらしいが、シンプルな8ビートをキッチリこなすには逆に向いていなかったのでは)。 もしも、そうだったとすれば、後にタイガースがこの曲を嫌った理由も、より確固としたものになると思う。 要するに、他のGSメンバーが作って演奏までした曲がベストワンになったことを、プロダクションやレコード会社はともかく、肝心のタイガース自身がうれしい訳は無い!ってことです。 また、マスコミ、PTAどころか、一般人、そして他のGSのファンに留まらず、上記のような理由で渡辺プロ以外の他のGSサイドからも「アンチ・タイガース」の声が聞こえて来ることがあったと邪推させられもするのだが、そうしたバッシングに若きタイガース・メンバーの心中は当然ながら大いに揺れ動いていたと思われると同時に、「シー・シー・シー」で初めてシングルA面を外された作曲家・すぎやまこういちの悔しさも相当に大きかったはずだ。 こうした流れの中で、タイガースと、その音楽ディレクター的存在だったすぎやまが、自らの音楽的なアイデンティティ、存在意義を示すために構想し、情熱を注いだ一点は、次のLPを意味も価値もあるものとして完成することだったのではないだろうか。 そして、その大きな目的のため、今までは先生と教え子のような上下の関係だった両者が、ここで真の意味でのタッグ、同ウエイト・横並びでの共同戦線を組むことになったと言えると思う。 もちろん、こうした音楽業界の内部的な事情はもとより、「人形のようなアイドル」そして「お子様ランチ的音楽」といった識者ないし社会一般からの蔑視の如き扱いに対して、かねてよりうかがっていた音楽家としてのクリエイティヴな異議申し立ての機会でもあったに違いない。 今までのタイガースのレコードはファンに向けてのものだったが、それに留まらず、今回は広く日本中に向かって発表する音楽作品を創造するのだという高揚した決意があったはずだ。 そこで目指したのが、ヒット曲を集めたような従来のスタイルのLPではなく、ビートルズが1967年夏の「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で規範を示し、以後のロック・アルバムに決定的影響を及ぼしたような、LPを丸ごと音楽表現の場と捉える、トータル・コンセプトを持つアルバムだったのは、しごく当然の成り行きだったろう。 そして、PTAやらNHKやら知識人やらのバッシングをかわすための手段としては、クラシック要素こそはシンプルだが有効性が高く必要不可欠、しかもタイガース+すぎやまは今までもクラシック調の曲をリリースして来ているからイメージ的に無理は無く、むしろオーケストラを大々的にフィーチャーすることで演奏面でのウィークポイントをカヴァーすると共に他の自作自演GSでは出し得ないサウンドを呈示する、さらにテーマは単なる「君が好きなのさ、ベイビー」といった個人的レベルではなく、旧約聖書から引用、格調高く、スケール大きく、人類の運命にまで思いを馳せる…、これなら文句無いだろ! なお、エレキやGSやロック=不良と捉えるような人ほどクラシックを盲目的に過大評価する傾向があるので、それを逆手に取る方法論でこの『レッツ・ゴー「運命」』も創られたはずなのだが、それは我がニッポンに限らず、欧米でも1969年のディープ・パープルのオーケストラ共演やエマーソン、レイク&パーマーが1971年にムソルグスキーの『展覧会の絵』を取り上げるといった、ヘヴィメタやプログレの腕達者なミュージシャンによる、よーく考えればバカバカしい企画が、その頃まではロックのデモンストレーションとして大いに意義のあることだったのです。 このアルバムの作家構成としては、作詩=なかにし礼/作曲=すぎやまこういちコンビで5曲、作詩=山上路夫/作曲=村井邦彦コンビで5曲、そして作詩・作曲を初めてメンバーが担当した加橋かつみと森本太郎の各1曲。 沢田研二や岸部修三も含めたメンバーが後に示した作詩・作曲能力からすれば、メンバーのオリジナルが2曲だけというのは少ないと思われるが、当時はこれでも画期的だったと言える。 GS=不良という圧力にはクラシック要素を全面に出して応戦する一方、タイガースは曲が書けないというバッシングに対抗するには、とにかく絶対にメンバーの自作が最低1曲でも必要だったはずだ。 しかも、良く出来た曲が。 実に厳しい要請だったと思われるが、結果、書き上げられた「730日目の朝」と「青い鳥」の2曲は、その難題に見事に応えていると思う。 むしろ不思議なのは、すぎやまが残り全曲を担当しなかったことの方で、新たに村井邦彦が作曲家として同じウエイトで加わっている。 その村井邦彦は、やはりGSムーヴメントの中から生まれた作家で、前年にスパイダースの「あの虹をつかもう」やモップスの「朝まで待てない」、そして何といっても、この年1968年夏のテンプターズ「エメラルドの伝説」(右下の写真)のオリコン・ナンバーワン・ヒット(GSではタイガースの「花の首飾り」に続いて2度目)で注目を浴びていたが、これらのバンドは渡辺プロ所属ではなく、テンプターズを例に出すまでも無く、タイガース、そして渡辺プロとはライバル関係にあった。 が、村井はLP『ヒューマン・ルネッサンス』からの先行シングル「廃虚の鳩」(1968年10月発売)でタイガースにも曲を書くことになる(しかし、渡辺プロ専属のようになったわけではなく、この年の暮れに発売されるテンプターズの「純愛」を書いていたりもするのだが)。 この村井登用に至る事情は不明とはいえ、特に村井が書いて示した「エメラルドの伝説」の方向性は、タイガースが『ヒューマン・ルネッサンス』で狙うことになるサウンドにピッタリだったとは思われる。 とにかく、このアルバムは音楽的な成功こそが至上の目的であったはずなので(ま、売り上げ面は何であっても保証されていますので)、すぎやまも含めたタイガース・サイドが念には念を入れて金銭トレードしたということなのかもしれない(野球のジャイアンツ的な方法論です)。 それとも、やはり、すぎやま本来の意向に反して、渡辺プロが決めたことだったのだろうか。 当時のGS関係の外部作曲家では、すぎやま、村井、そして筒美京平と鈴木邦彦が特にビッグ・ネームだったが、その内の2人が結集すれば強力だったことは間違いないのだが。 そのコンセプトを提示したのは誰だったのだろう、なかにし礼なのか、山上路夫だったのか、それともすぎやま、あるいはメンバーの誰かの発想だったのだろうか。 前記の「エメラルドの伝説」の作詩は、なかにし礼だったが、そのタイトルの「伝説」がキーワードである気もするのだが。 なお、GSで有名なもう1つの「伝説」曲、ジャガーズの「キサナドーの伝説」(「エメラルドの伝説」と同日に発売/右の写真)は外国曲のカヴァーでタイトルは原題の直訳だが、日本語詩はやはり、なかにし礼によるものだった。 一方、この年 9月にリリースされたアダムスのデビュー曲、その名も「旧約聖書」(右の写真)は、作詩=山上路夫/作曲=村井邦彦コンビによるもので、詩も「神様は初めに天と地を作りました」って内容。 また、この時期に並行して実施された明治チョコレートのキャンペーンでのプレゼント・レコード(ソノシート)の内容もモロに旧約聖書なのだが、これは当然ながら連携したものだったはず。 『ヒューマン・ルネッサンス』あってこその企画だとは思われるが、逆に明治製菓の広告代理店あたりからのアイデアが発端で、それがLPのコンセプトにフィードバックされたという可能性もある(ただし、そうだとしても、完成したLPの内容自体は旧約聖書とは一線を画するというのが筆者の見解なのですが、それについては後述)。
…今回のアルバムでは、イメージを "ポンペイの悲劇" からヒントを得、テーマも「誕生、平和、友情、恋、祭り、運命、兵士、母、死、英雄、人類の滅亡、再出発」と12に分かれており…、と。 ポンペイの悲劇とは、西暦79年8月25日(24日の昼過ぎに噴火が始まり、25日朝に決定的な大噴火があったようだ)、イタリア南部のヴェスヴィオ(ベスビアス)火山が大噴火し、その火砕流等で麓の町ヘルクラネウムがほとんど一瞬にして埋没、その後にポンペイの町も壊滅したことを指すはずだが、これは旧約聖書のような神話ではなく、明らかな歴史的事実、地球上の一地域での天災である。 大災害には違いないにしても、死者は約2000人とのことで、決して人類の滅亡でも何でもないのだが、詩の内容を見ると、ポンペイのことは念頭にはあったにしても、それを明らかに旧約聖書史観に重ね合わせている。 (⇒と書いていましたが、後に石黒耀氏の小説『死都日本』を読んだところ、その創作部分ではなく、データ的な部分で、火山の大噴火こそは単なる一地域の天災ではないことが分かって来ました。 地震・火事等とは根本的に異なり、その地域への直接の被害に止まらず、世界的に日照不足・寒冷化・異常気象による「火山の冬」が訪れ、食糧難・飢餓・伝染病・暴動・内戦・難民・国境紛争等々を引き起こす。 正に、これこそは全人類の存亡に関わる程のものであり、また旧約聖書や日本の古事記等での創生伝説とは実は火山の大噴火を表現しているのだという主張もインパクトと説得力がありました。 どうやら今までの認識を改める必要があるようです。 『ヒューマン・ルネッサンス』での「割れた地球」等は大袈裟な比喩的表現かと思っていましたが、むしろダイレクトと言うべき描写なのかもしれません(もっとも、実際に発生する現象の順番としては「割れた地球」→「雨のレクイエム」ということになるようですが、…曲順もその方がイイかも)。 というように、この『死都日本』は『ヒューマン・ルネッサンス』に興味がある方も必読ではないでしょうか。 日本そして日本人再生への大胆で壮大な、そして真の希望に溢れるエンディングも痛快です) 左表の中間に掲載したのは、収録曲のオリジナル・タイトルだが、「光ある世界」「誕生」「雨のレクイエム」「割れた地球」「ノアの洪水」あたりは旧約聖書色が濃く、また「平和」「兵士」「小さき母」等は歌のタイトルとしてはリアルでシンプルすぎるように思える。 しかし、こうしてオリジナル・タイトルを並べてみると、 それまでのGSソングとはまったく違う印象であり、当初の関係者の大いなる意気込みが感じられないだろうか。 (ただし、加橋かつみ作の「タン・タン・タン」だけは例外的な印象だが、このタイトルは当時加橋が憧れていた「ベビー・ドール」「キャンティ」の川添梶子の愛称「タンタン」と無関係のはずはなく、その想いを無邪気に公にしたものだったろう) また詩の内容では、「神話」「伝説」の世界に留まることなく、当時の現実としてあったベトナム戦争のことを暗示しているようでもある。 その意味では「忘れかけた子守唄」などは、当時流行していたフォーク・ソングのような直接的、もしくは揶揄的なアプローチとは違う、タイガースならではの反戦歌としても傑作だったと言えよう。 (もっとも、同曲の詩を書いたなかにし礼は旧満州、中国東北部生まれで、幼い頃に現地で戦争を体験していることもあり、頭にあったのは第2次大戦時の大陸での風景だったのだろうが、同じく「ジョニイ」という名前の兵士が登場するピーター、ポール&マリーでおなじみのフォーク・ソング「悲惨な戦争/CRUEL WAR」の歌詩は、「忘れかけた子守唄」の前段である「朝に別れのほほえみを」と同様のシチュエイション(2〜3日後に恋人が兵士として出征する)での女性側からの描写なので、それぞれの作詩をした山上路夫となかにし礼の意識の中には、明らかにこの曲が前提的に存在していたように思える。 ちなみに、同じくピーター、ポール&マリーの代表的なヒット曲「虹と共に消えた恋/GONE THE RAINBOW」も、兵士として戦場に行った愛する人を奪われた内容の歌だが、その兵士の名前も「ジョニイ」だった…。 さらに「虹と共に消えた恋」には失われたものの象徴として「DOVE=鳩」が登場するが、この「ヒューマン・ルネッサンス」の終曲で唄われる「復活」の象徴が「(廃虚の)鳩」であるのも、もちろん偶然の一致ではないと思われる) さて、前記の『ヤング』誌にあった各テーマの内、「恋」らしきテーマの曲は2曲(「光ある世界」「青い鳥」)あるのだが、逆に「英雄」に該当する曲が見当たらない。 「青い鳥」が他の曲と日数が多少開いて最後に録音されているが、この曲が当初は「英雄」テーマの割り当て分だった可能性もある。 だが、そうはならなかった。 想定された「英雄」が何かは定かではないにしても、こういう時の「英雄」とは往々にして「戦争の親玉」か「戦死者」を指すことが多く、それは「人間性の復興」のコンセプトにはそぐわないとされたのかもしれない。 ほとんどの戦争は正義の名のもとに「英雄」が活躍するのだが、どのみち多くの人間に不幸を招く結果になるのだから。 なので、このアルバムには、楽しい歌、悲しい歌、美しい歌、淋しい歌、激しい歌、静かな歌、甘い歌、等はあるのだが、勇ましい歌だけは無い(勇壮感は、唯一「忘れかけた子守唄」の演奏の一部で、対位法的に響くのみ)。 そのためにか、旧約聖書をネタにしながら、いわば仏教的な雰囲気すら漂うような気さえするが(抹香臭いということではありません、いや、あるかな)、それは取りも直さず、西洋的スタイルを取りながらも、あくまで日本人(の若者)としての感情を表現した音楽として、大いなる存在感を主張し得たとも言えることだと思う。 …なお、筆者は「光ある世界」を形而上的な個々の男女間のラヴ・ソングと捉えていますが、この曲が上記の「英雄」テーマに相当するとの見方もある。 とはいえ、その場合でも、テーマはダイレクトに「神」か、もしくは「慈愛」といったニュアンスがふさわしいと思われ(ジョージ・ハリソンの「マイ・スウィート・ロード」みたいに)、いずれにしても「英雄」という語感は、このアルバムのコンセプトには似つかわしくないと感じられるのですが(しかしながら、アルバムのオープニング曲で唄われる「あなた」が誰を指すのかという解釈の違いで、このアルバム全体の印象が大きく変わることは実に興味深い)。 ただし、前述のように、このアルバムのコンセプトは同時期に実施されていた明治チョコレートとのタイアップ・キャンペーンでの景品ソノシート『天地創造ものがたり』の内容である旧約聖書ネタとリンクしたものではあったにしても、だからといって完成したアルバムをダイレクトに旧約聖書史観と関連付けてしまうのは、このアルバムが表現しているものを却って限定してしまう恐れがあることは指摘しておきたい。 当初のスケール壮大なコンセプトに沿いながらも、特に各作詩家の実際の意図は、(神を隠喩として使ったにしても)人類の滅亡と再出発を天上から見つめるような全知全能の神の視線などではなく、身近にある大切にすべき人間の愛・心情・生活といったものを、あくまで個々の小さな人間側からヴィヴィッドに表現することだったと筆者は考えている。 もちろん、それも解釈の1つでしかないが、このアルバムは深いがシンプル、シンプルだが深い作品になり得ていると思うので、単一の固定的な解釈、特に先入観で旧約聖書に縛られることは、実にもったいない気持ちがしてしまうのですねえ。 ヴォーカル面では、もともとタイガースはメンバーの声質が他のGSより際立って広かったのだが、ここでは決してジュリー+バック・バンドではないことを示すためにか、必要以上と思われるほどにリード・ヴォーカリストが振り分けられており、さらに全編をハーモニーで通す曲もあれば、コーラス部分においてさえ加橋かつみの高音と岸部修三の低音が演劇的なまでに対比・強調され、バックアップというよりもリード・ヴォーカルと掛け合って絡むような曲も数多く含まれている。 そして、その結果、ジュリー以外のメンバーの個性が浮き立つと同時に、それが有機的にかみ合って、幅広く奥深い世界を現出するという、大いなる成果を上げることになった。 とにかく、トータル・コンセプトから、サウンドそしてヴォーカル面まで、すべてのタイガースの長所が結実しており、それまでのタイガースへのあらゆるバッシングに対抗しうるカウンター・パンチとでもいうべきアルバムに仕上がっている。 付けられたタイトル『ヒューマン・ルネッサンス』とは「人間性の復興」というような意味だが、それは中身の音楽のコンセプトを表現すると同時に、他のGSとは明確に異なるタイガースならではのサウンドとワールドを構築しえた自分達の気持ちを代弁するものとしても、まさにこれ以外にはあり得ない唯一最高のタイトルだったに違いない。 そして、今まで鬱屈していたタイガース・ファンの女の子達も、自信と誇りを持って、タイガースの(この)レコードを他人に薦めることが出来たのではないだろうか。 …しかしながら、ドラマーの瞳みのるが唯一不在のような、影が薄い感じがしてならない。 それは、シングル「シー・シー・シー」のジャケット(ほとんど瞳だけが正面に顔を向けている)とは実に対照的な印象なのだ。 今まで延々と述べてきたように、このアルバムは見事に1つの世界を創り上げているのだが、そうであったにしても、その世界自体が元々タイガースを始めとするGSに求めていたものとは異なるという違和感は、リスナーとしての筆者には実はあるのですね。 それは、簡単に言えば「ロックしていない」ということなのだが、そんな感覚をプレイヤーとしての瞳も持っていたのではないかという気がしてならない。 瞳がやりたかった音楽は「シー・シー・シー」のような、シンプルだけどビート感のあるロック・ナンバーだったのではないだろうか。 逆に、このアルバムにもっとも満足したのは間違いなく加橋かつみで、本人も「あれだけが本当のタイガースの仕事だ。 あのLPを支持してくれたファンだけが、タイガースの本当のファンだ」と語っているのだが、このアルバム発売の数か月後、その加橋がタイガースを脱退することになる…。 |
[欄外コラム] の前ページへ | 次ページへ |
このページは新しいウィンドウで開いているはずですので、[欄外コラム] 以外のページに移る時には(基本的に)このウィンドウを閉じてください |
タイガースのINDEXへ | ディスコグラフィー入口へ | えとせとらレコードのホームページ |