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[欄外コラム(8)] 「シー・シー・シー」でのワンポイント作家交代の理由 | [欄外コラム] のINDEXへ | ||
1968年夏に発売されたタイガース6枚目のシングルは「シー・シー・シー」となったが、これに決定するまでには実は大いなる紆余曲折があったのではないか…。 まず、この時点までのシングル・リリースを振り返ってみると、「僕のマリー」「シーサイド・バウンド」「モナリザの微笑」「君だけに愛を」「銀河のロマンス」と、すべて作詩=橋本淳/作曲=すぎやまこういちのコンビ作。 曲調はスロー〜ミディアム・テンポのバラード系とアップ・テンポのロック調が交互になっている。 また、B面にはA面と対照的な曲が組まれており、順に「こっちを向いて」「星のプリンス」「真赤なジャケット」「落葉の物語」と4曲目までは、曲調がA面の逆。 次の、両A面シングルと言っていい「銀河のロマンス/花の首飾り」は曲調は共通だが、リード・ヴォーカリストが異なるという大きな違いがある。 このように、ありがちな前作そのままの再生産は避け、または売れているのだから何でもOKというような乱暴なリリースとは正反対に、タイガースのあるイメージは保ちつつも、それを必ずしも固定化はせずに、変化を盛り込んで展開して行くという長期的視点に立っての明確なプロデュース姿勢が感じられる。 そして、それを成し得たのは、従来の歌謡界とは別のところから生まれた(ために、当初はレコード会社やプロダクションがコントロールしきれなかった)グループ・サウンズの初期の特質であったと同時に、やはり、タイガースを育てた作曲家すぎやまこういちの目的意識あってこそと思われる。 後に、すぎやまが「タイガースの5作目までのシングルは全部で組曲のようになるように考えて作った」と述べているのは結果論と言うべきかもしれないが、少なくともタイガースの初期の5枚のシングルが行き当たりばったりのリリースであったとは思えず、そこにはやはり、すぎやまの意向が大きく作用していたことは間違いないだろう。 さて、そうとなれば、自ら 5作で完結とするはずはないのではないか。 しかも前作「花の首飾り」は、タイガースのみならず GSのレコードで初めてオリコン・チャート1位を獲得したばかりだ。 生業としても報酬が多くて困ることはないという生臭い視点はさておくにしても、タイガースを通してこそ自分の作品が広く沢山の聴衆に届くことに作家として異議を唱えるはずは絶対に無いだろう。 (それは作詩の橋本淳にとっても同様だったろうが、前作「花の首飾り」では形としてはB面、そして雑誌企画で詩を公募したものとはいえ、補作詩者としては橋本ではなく、なかにし礼が起用された。 それにも何らかの理由があったに違いないだろうが、作曲は引き続きすぎやまが担当した。 もっとも、橋本とすぎやまではタイガースに対する思い入れにかなりの温度差があるようだ。 すでにブルー・コメッツの「ブルー・シャトウ」等で頂点を極めてもいた橋本は、また作曲家・筒美京平とのコンビによる和製ポップスの数々でも多大な成果を上げていることもあり、タイガースへの格別のこだわりは無く、あくまで仕事としてこなした感がある。 が一方、すぎやまはタイガースの生みの親=命名者ということもあり、橋本のクールなスタンスとは違って、大いなる意気込みと情熱とを持ってタイガースに取り組んでいたはずだ) しかし、この新しいシングル「シー・シー・シー」では、突然のように作家が一新された。作詩の安井かずみ、作曲の加瀬邦彦共に、渡辺プロ系の作家と言えるにしても、だ。 しかも、B面に収録された「白夜の騎士」が、オリジナル作詩は公募で当選した有川正子によるものとはいえ、補作詩は橋本淳、そして作曲すぎやまこういち、というデビュー作から続くゴールデン・コンビだったことが、逆に疑問を生じさせる。 そうでなければ、どこかの時点でこのコンビによるシングルは5作目までとの契約というか構想があらかじめ話し合いで決定され、そのスケジュールに従って、新しい作家による「シー・シー・シー」が用意されたとも考えられるのだが、そうではなさそうだ。 作家を変えることは、歌手側にとってはマンネリを防ぐと同時に次の大きな飛躍を賭けるという非常に重大な岐路であるが、このタイガースの絶頂期にそうすることは、柳の下のドジョウをいなくなるまで追い続ける指向が顕著な歌謡界っぽくない(と同時に、特にタイガースの恩師たるすぎやまに対する仁義を欠いたような)姿勢と思えるのだが。 さらに、それだけでなく、このシングルは当初は別の曲「南の島のカーニバル」がA面にほぼ決定していたらしく、一部ではそのような告知もされていたことが、疑問をさらに深める。 (同曲は、この時のシングル用セッションで3曲録音された時のものであり、録音時には「南の国のカーニバル」のタイトルだったが、「シー・シー・シー」と「白夜の騎士」がシングルAB面に決定してオクラ入り。 後にCD 『LEGEND OF THE TIGERS』で発表されたのだが、そこには何故か作家名のクレジットは無かった) そして、結果としては「シー・シー・シー」は「花の首飾り」に続いてタイガース2枚目のオリコン・チャート1位曲となるのだが、その次のタイガースのレコードには安井かずみも加瀬邦彦も参加していない。 また、橋本淳もタイガースには以後ほとんど書かなくなるが、すぎやまこういちはアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』に参画して前期タイガースのイメージを決定的に確立することになる…。 さて、疑問点をはっきりさせるためにも、こういうことだったのならば納得できるという筆者の仮説を述べたいと思う。 まず、タイガースのシングル・リリースの交互の順番的にも、季節の夏向きということでも、「銀河のロマンス/花の首飾り」に続くシングルがアップテンポの軽快な曲調で行くことでは関係者が全員一致。 もちろん、イメージとしては前年の夏用作品「シーサイド・バウンド」のライン。 当然に作家は今までと同じ橋本+すぎやまコンビ。 B面には、これも今までのセオリーに従ってスロー系の曲を配置。 そして、前作「花の首飾り」が雑誌公募でうまくいったので、今回はTV番組とタイアップして詩を公募することに。 前作での経緯は不明にしても、今度こそは橋本に補作詩も依頼。 で、これが「白夜の騎士」となる。 そしてA面は同コンビの「南の島のカーニバル」に決定、となるはずだったのだが…。 片や渡辺プロとしては、今や同社のトップ・スターとなったタイガースの今後の展開等も考え、シングル候補3曲の内の1曲は別の作家にも機会を与えることを、ささやかに主張していたのだが、橋本+すぎやま側も自信があるが故に、それを了承。 会社側は、それを同プロ所属の先輩GSワイルド・ワンズのリーダーであり、GSメンバーでは珍しく作曲家としての才能がある加瀬邦彦に担当させる。 加瀬は以前タイガースによってレコーディングされたがオクラ入りした「愛するアニタ」の作曲家でもあるが(⇒[欄外コラム(3)] 参照/今のページにはブラウザー自体の「戻る」ボタンで)、その時は時期尚早でもあったにしても、もういいのではないかというような会社内部での各担当のコンセンサスがあったかもしれない。 いや、さらに進んで、自分達で曲を作れないことが日本のビートルズたるべきタイガースの大きなネックだとすれば、メンバーではないにしても、同じGS仲間の加瀬の作曲能力を、パフォーマーとしては絶大な人気を誇るタイガースに生かそうという(当人達以外の人間が考えそうな)方法論、それは社内的には誰に対しても説得力があったように思われる。 かくして「シー・シー・シー」が作られた。 (ちなみに同時期に渡辺プロがプッシュしていた女性ポップス・シンガー梢みわのキャッチ・フレーズは、スリーC・ガール! スリーCとは当時の日本国民の三種の神器たるCOLOR TV・COOLER・CARのことではなく、COLORFUL・COOL・CUTEってことでしたが、これと「C-C-C」のタイトル・コンセプトがまったく無関係だった訳はないでしょう) そして、シングル候補の1曲として録音されたのが、1968年5月12日のレコーディング・セッションだったわけだ。 しかし、これはあくまで補欠的なデモ録音。 しかしながら、本命たるべき「南の島のカーニバル」の出来が意外にもイマイチ(この曲は現在聴くことが出来るので、各自判断していただきたい)、一方「シー・シー・シー」はスタッフが狙ったイメージ通りだったので、過去の実績より、現在、そして先を見越した会社の判断で、どんでん返し! 既定事項のはずだったA面をチェンジする大英断が下された。 (社内のワイルド・ワンズ担当サイドによる「愛するアニタ」オクラ入りの借りを今こそ返してもらおうというような攻勢もあったかも) 橋本はともかく、すぎやまも 2曲を較べて納得せざるを得なくなり、その結果「南の島のカーニバル」での曲中のブレイクというアイデアも生かして手直しされたアレンジの「シー・シー・シー」の2度目のレコーディングが、5月23日に行なわれた。 (ちなみにシングルに編曲者のクレジットはなかったが、後の編集盤等では加瀬邦彦編曲とされている。 しかし、タイガースのバンド・アレンジだったと思えなくもないし、2曲に見られるブレイクのアイデアが偶然の一致と考えるのも無理があるので、すぎやまがサウンド・プロデュースというような形で関わった可能性もあるのではないでしょうか) そして、7月5日リリース。 それまでの価格より約 1割値上げされて400円となったレコードだったが、ファンは殺到し、オリコン・チャートでも数週に渡ってトップにランクされることになった。 メデタシ! メデタシ? そう、実は関係者的には、結果良ければすべて良し、とはならなかったようだ。 以降、橋本淳はタイガースのメイン作品に参加していないし(シングルB面の1曲のみ)、加瀬邦彦が関わったのも、正規リリースではない明治製菓のプレゼント・レコードの5人の作曲家の1人としてだけだった。 (ちなみに、この時の5曲とカラオケをLP化したプロモ盤が関係者には配られたようだが、加瀬邦彦様宛と明記された盤は外部に流通し、現在は某マニアが所有しているということだ。 もともと製作する側の人はあまり物の所有にはこだわらない傾向があるにしても、自分宛と明記された盤を手放したことは、タイガース企画に対する加瀬の気持ちの一端がうかがえるように思えるのだが…。 もっとも、単に本人以外の誰かがこっそり売っちゃっただけだったりして) また、シングル「シー・シー・シー」のページでも触れたように、GS全体でもたった3曲、タイガースでは2曲しかないオリコン・チャート1位という代表曲のはずのナンバーにもかかわらず、その後のライヴ・レコードには収録されていない。 ヒットしている時にはもちろん、後のステージにおいても演奏されたことはあるのだろうが、とりわけタイガースのすべてを総括する解散コンサートにおいて取り上げられなかったのは実に不自然だ。 ちなみに、この時に演奏されなかったシングルA面曲は「シー・シー・シー」「廃虚の鳩」「嘆き」「君を許す」の4曲のみ。 「廃虚の鳩」は解散時には在籍していなかった加橋かつみのリード・ヴォーカル曲だし、「嘆き」「君を許す」はジュリーのソロ・シングルのようなものだから納得できるのだが、「シー・シー・シー」に関してはタイガースのメンバーが嫌いな曲調とは思えないし、むしろライヴ向きの曲とも思えるのに、これはちょっと理解し難いことではないだろうか。 ただし、この解散コンサートの時に限らず、上記のような経緯があったのだとすれば、説明は付くように思われる。 すぎやまを必要以上には刺激したくないという(会社やメンバーの)配慮と、作曲家の先生ならともかく、先輩とはいえ自分達と同じレベルのはずのGSのメンバーにヒット曲を提供してもらったという負い目のようなもの、あるいは初期ビートルズをほうふつさせるキャッチーなビート・ナンバーを書き上げた加瀬の作曲能力に対する嫉妬といった要素が絡みあって、この曲を遠ざける結果になったのかもしれない、と。 そういえば、ローリング・ストーンズがオリジナル曲を書けなかった頃、かのビートルズ(のジョン・レノンとポール・マッカートニー)から「I WANNA BE YOUR MAN」を2枚目のシングル曲としてプレゼントしてもらい、それがヒットしたことがストーンズ(のミック・ジャガーとキース・リチャーズ)にオリジナル曲を作らせるキッカケにもなったと言われているが、やはりストーンズは(資料によれば)この曲をライヴで取り上げることはほとんど無かった、それに似ている気もする。 タイガースのメンバーも同様の刺激を受けて森本太郎と加橋かつみは曲作りに努め、そしてタイガースならではのサウンドを求めて、アンチ・ビート、アンチ「シー・シー・シー」とも言える、クラシカルで格調高いイメージのアルバム『ヒューマン・ルネッサンス』製作へと情熱を注いだのではないだろうか。 もちろん、それは当時のPTAやマスコミからのGSバッシング、とりわけタイガースに対するバッシングをかわそうとする方向性とも一致していたわけではあるが、そうした外部的要因もさることながら、「シー・シー・シー」を録音してから発売されるまでの間に行なわれた次アルバムのミーティングにおいて何より重要だったのは、タイガースのメンバー(と、すぎやまこういちを含むスタッフ)が失われかけた自らのアイデンティティを回復しようとしたことであり、そして生まれた音楽的回答がこれだったのだと思えてくる。 となれば、このアルバム・タイトルは「人間性の復興」というような意味だが、まさに自分達にとってもこれ以外にはあり得ない唯一最高のタイトルとコンセプトだったに違いない。 もっとも、そう考えるならば、「シー・シー・シー」が無ければ『ヒューマン・ルネッサンス』も生まれ得なかったのかもしれず、「シー・シー・シー」はタイガースにとってやはり必要で重要な曲だったとも言えましょうか。 (さらに、タイガース解散後、ジュリーがソロ歌手として再びシーンに戻った復活曲「許されない愛」は「愛するアニタ」と同じ作詩=山上路夫/作曲=加瀬邦彦のコンビ作、そして決定的なブレイク曲が「シー・シー・シー」と同じ安井かずみ作詩/加瀬邦彦作曲による「危険なふたり」だったことは、運命の皮肉?) それとも、筆者が考え過ぎているだけで、事態はごくシンプルだったのでしょうか? (しかし、あらためてこのシングルのジャケットを眺めてみると、表側も裏側でも、瞳みのる以外、ほとんどのメンバーは顔をこちらに向けていないし、ジュリーは「内緒だよ」ってポーズ。 意味深だなあ) ちなみに、関連する [欄外コラム(12)] 参照(今のページにはブラウザー自体の「戻る」ボタンで) |
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