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ザ・タイガース 映画出演リスト | |
・ドリフターズですよ!前進前進また前進 (ゲストでの映画初出演) ・ザ・タイガース 世界はボクらを待っている (映画初主演) ・クレージー メキシコ大作戦 (沢田研二のみゲスト出演)*上記ページに併記 ・ザ・タイガース 華やかなる招待 (主演映画第2作) ・ハーイ!ロンドン(主演映画第3作) ・日本一のヤクザ男(沢田研二のみゲスト出演) ・喜劇 右向けェ左!(タイガースとして最後にゲスト出演した映画) |
タイトル/ポスター/パンフレット |
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ハーイ!ロンドン
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美しき愛の掟 (2分35秒=映画よりの実測) 冒頭、女性ファンへのインタビュー音声をバックに、日劇ウエスタン・カーニバルの模様(1969年5月5日〜12日に開催された第36回の時のはず)が映し出される。 そして、ロンドンでの風景に切り替わってメイン・タイトル、以下のスタッフ・クレジット部分では劇伴音楽の「Lovin' Life」が流れている。 その後、ジュリーの芝居を挟んで、キャスト・クレジット部分では「美しき愛の掟」が唄われる。 スタジオやジャズ喫茶「ヤング・メイツ」での映像で、新メンバーの岸部シローはタンバリンをプレイ。 音源はレコード・テイクのように聴こえるが、エンディングは早めにフェイド・アウト。 なお、レコードでは加橋かつみ在籍時に録音されたテイクが使われているはずだが、B面「風は知らない」共に岸部シロー加入後に(リード・ヴォーカルとコーラス・パートが)再録音された未発表テイクも存在する模様。 ここではその音源が使われている可能性もあるとはいえ、下記の「風は知らない」とは異なって、この曲ではコーラス部分は目立たないこともあり、どちらにしても、その差はほとんど無いに等しいと思われるが…。 [その後の情報] この再録音テイクに関して、ファンの方より下記の情報が寄せられました。 ありがとうございます。 →私の所有している岸部シロー参加ヴァージョンのテープ(タイガースの新曲との紹介でラジオで流されたスタジオ録音の音源)で確認しましたが、シロー・ヴァージョンは明らかにジュリーの歌い方が違います。 この映画での「美しき愛の掟」は、トッポ参加音源が使われているようです。 はだしで (1分03秒=映画よりの実測) 映画 『世界は僕らを待っている』の時のトラ模様とは違うタイガース・バスで移動し、TV局で演奏。 これもレコード・テイクで、イントロの後、歌詩の2番につながり、間奏部分で終了。 (ポスターでの曲名クレジットは「裸足で」) Lovin' Life (0分53秒+0分15秒+0分40秒=映画よりの実測) 夜になり、今度は日本グラモフォン(ポリドール)スタジオでレコーディングと、多忙な一日が描かれる。 ヴォーカル録音風景の断片(3パート)で、作曲した村井邦彦も登場してアドバイス。 基本的にはレコード音源と同じと思われるが、途中のスタジオ内での音はラフに聴こえるので、撮影時に同時録音した音源かもしれない。 同曲は「嘆き」「はだしで」と共に1969年5月21日に録音されたが、当時は未レコード化だった(現在はCD 『LEGEND OF THE TIGERS』等で聴ける)。 この映画の国内での撮影は同年6月11日から21日の間に行われたとのことだが、このシーンも映画用にあらためて撮影したのだろうか。 それともレコードの録音時に撮影しておいたものだろうか。 なお、映画ではリード・ヴォーカルのジュリーとコーラスの3人は同時に録音、コーラスに瞳みのるは参加していない。 (この映画のタイトル・バックでのクレジットは「Lov'in Life」となっていた) 「音楽喫茶 ヤング・メイツ」の看板が映され、そこでの前座?・アダムスの演奏が収録。 アダムスはアウト・キャストにいた実力派ギタリスト・水谷公生をフィーチャーしたGSで、タイガースのLP『ヒューマン・ルネッサンス』と似たコンセプトのシングル「旧約聖書」(作詩=山上路夫、作曲=村井邦彦)でデビュー。 この「にくい時計」は1969年5月に発売された3枚目のシングル「地球はせますぎる」のB面に収録、両面とも水谷公生のオリジナル曲。 ここでのリード・ヴォーカルはドラムスの川上幸夫で、レコードと同音源のはず。 (この映画のタイトル・バックで、この曲に関するクレジットは無い) 美しき愛の掟 (1分10秒=映画よりの実測) 楽屋のTVに、この曲の演奏シーンが多少映る。 映像は冒頭とは違うショットだが、レコード音源。 ただし、ピッチが多少速いか。 「走っている」演奏という設定なので、そう細工したもの? タイガースの子守唄 (1分55秒=映画よりの実測) 止まった時間内(という設定)にプライベートでくつろぐジュリー。 そのシーンに、この曲が流れる。 明治チョコレートのプレゼント・レコード用の曲(作曲は村井邦彦)で同音源。 (この映画のタイトル・バックで、この曲名クレジットは無い) Rain Falls On The Lonely (1分52秒=映画よりの実測) 「ヤング・メイツ」でのバンド演奏という設定だが、レコードと同音源なのでブラスやストリングスも聴こえる。 なお、この映画公開後、シングル「スマイル・フォー・ミー」のB面として発売された時には、「淋しい雨」の邦題が付いていた。 Smile For Me (2分37秒=映画よりの実測) 明治CalminのCMショットから「ヤング・メイツ」でのシーンに切り替わって唄われる。 レコードと同音源なので、ストリングスもフィーチャー。 久美かおりが唄うボサノヴァ調ポップス。 久美かおりは最初にタイガースと共演した映画 『世界はボクらを待っている』公開後の1968年7月に「くちづけが怖い」でレコード・デビュー、この「髪がゆれている」は1969年8月発売の4枚目のシングルで「小さな鳩」とのカップリング。 ジャケットには「ハーイ!ロンドン」挿入歌とクレジットされていたが、ダブル・ジャケット両面の写真も映画撮影時にロンドンで撮られたはずで、「小さな鳩」側ではジュリーも顔半分だけ写っている。 映画ではジュリーが軽くコーラスを付けるという設定だが、音源はレコードと同じと思われるので、聴こえてくる男性の声は作曲した村井邦彦のはず。 (映画のタイトル・バックにも、この曲に関するクレジットあり) 風は知らない (1分59秒=映画よりの実測) BOACの飛行機でロンドンへと到着するシーンに流れるが、イントロ後のヴォーカル部分から。 ただし、レコードでは「昨日鳴る…」の部分で目立つ加橋かつみのコーラスの声は聴こえない。 この点に関しては、(画面に登場しない加橋の声が大きく聴こえるのは整合性を欠くとの判断で)加橋のコーラスが入っているレコードの左チャンネルの音を絞って使用したのではないかとも考えていたのですが、後に福岡の川上さんより下記の情報をお寄せいただきました。 →最初の「ただ夢見て」の「て」の音が映画版では少し音が外れます。 間奏後の「雲の波間を」の部分は少し歌い方が違います。 ジュリーのヴォーカルだけ差し替えていたかと思いましたが、コーラスの部分は加橋かつみの声を絞ったのではなく岸部シローのようです。 おそらく同一カラオケで再度録音したのでないでしょうか。 TVのシャボン玉ホリデーでも映画と同じような歌い方をしていたので同じ音源を使っていたのかもしれません。 あらためて聴き較べてみましたが、その通りと思われます。 ご指摘ありがとうございました。 ですので、「映画ではレコード音源とは異なり、ジュリーのリード・ヴォーカル、および岸部シローも加わったコーラスを再録音したテイクが使われた」と、以前の記述を訂正します。 なお、この曲の途中で、ジュリーがビー・ジーズのバリー・ギブ(「Smile For Me」の作者でもある)と逢うシーンが、一瞬挿入される。 トースト・ココナッツ・バー (0分14秒=映画よりの実測) ロンドンの街角で明治Coconutの包み紙を拾うというタイアップ・ショットに流れる明治製菓CMソングの断片。 同曲のフル・ヴァージョンは、明治製菓のプレゼント・ソノシート「天地創造ものがたり」で聴けたが、2002年3月21日発売の『レア&モア・コレクションIII 〜ノベルティ・レコード編〜』でCD化された。 Let The Music Start スタート・ザ・ミュージック by Pinky and The Fellas ピンキーとフェラス (1分41秒=映画よりの実測) ロンドンの風景のバックに流れるポップス。 当時、日本でも「マンチェスターとリバプール」のヒットでおなじみだったピンキーとフェラスの曲。 ピンキーとフェラスは紅一点のヴォーカルと男性陣というグループだが、我が国のピンキーとキラーズと同じ構成で女性の名前(愛称)も一緒なのは偶然? It's A Beautiful Day ビューティフル・デイ by Pinky and The Fellas ピンキーとフェラス (1分11秒=映画よりの実測) 上記曲に続いて、今度はピンキーとフェラス自身が画面に登場して唄う。 タイガースと同じポリドール・レーベルからのリリースなので、タイアップとして使われたものと思われるが、この映画のタイトル・バックで、この曲に関するクレジットは無い。 この2曲はシングルのAB面として、日本でも映画公開後に発売された。 映画もレコードも同音源。 (当初 この2曲の曲名等が不明でしたが、町井ハジメさんに情報をご提供いただき、判明したものです。 ありがとうございました) はだしで (1分34秒=映画よりの実測) ロンドンで戯れるメンバーの映像をバックに流れるレコード・テイク。 嘆き (3分57秒=映画よりの実測) 最後は日本に戻って、再び「ヤング・メイツ」での演奏という設定で唄われる。 森本太郎が弾く(という設定の)クラシカルなグランド・ピアノのイントロに続いて、ストリングスをフィーチャーしたレコード・テイクがフル・ヴァージョンで使われているが、やがてロンドンでの映像に切り替わり、 曲のエンディングと共に映画も終了する。 |
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データ | |||||||
1969年 7月12日(土曜日)封切 東宝系公開 同時上映:『ニュージーランドの若大将』(こちらがメイン作品) 東京映画+渡辺プロ作品/東宝配給 上映時間 1時間23分 製作=渡辺晋+田波靖男/脚本=田波靖男/監督=岩内克己/撮影=原一民/音楽=村井邦彦 出演=ザ・タイガース(沢田研二/瞳みのる/岸部シロー/森本太郎/岸部おさみ)/久美かおり/藤田まこと/アダムス/バリー・ギブ(ヴァリー・ギブ、とクレジット)/ピンキーとフェラス(ピンキーとフェラーズ、とクレジット)/杉本エマ/他
ここに掲載したビデオは以前のパッケージで価格は\13800だったが、現在はパッケージが異なり、税別\5500と比較的買いやすい価格になっている(東宝ビデオ TG4900S)。 レーザーディスクは未発売。 この映画と連動したアルバムは当時はリリースされなかったが、後年の1982年2月21日にカセット・テープのみで『想い出の映画サントラのすべて』がアポロンから発売された。 これは映画のサウンド・トラックそのものを編集した内容。 残念ながら、全曲完全収録というではないが、使われている音源は、あくまで映画からのもの。 これは、長い間、幻のアイテムだったが、2002年1月23日に『ザ・タイガース レア&モア・コレクション II 〜オリジナル・サウンドトラック編〜』としてCD化された(右の写真)。 |
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前作の『華やかなる招待』同様、渡辺プロと東宝傘下の東京映画の提携製作作品となっている。
ただし、東宝系の映画館での公開という形はまったく変わらない。 上映は、基本的には7月25日(金曜日)までの2週間(これは当時の一般的な最初の封切興行の上映期間)。 1969年5月27日夜10時15分の便で羽田空港から出発してロンドンでロケ撮影、6月9日に帰国し、続けて11日から21日までの間にスタジオ撮影等が行なわれたようだ。 東京・日比谷にあった渡辺プロ系のジャズ喫茶(ライヴ・ハウス)「ヤング・メイツ」でのロケは、6月19日(木曜日)・20日(金曜日)の午前8時30分から午後5時まで、ファンクラブ会員を抽選で両日合計600人招待して行なわれたという(平日の昼間なので、募集時には「学校を欠席し、参加した方の後でのいっさいの責任は負いません」と注記されていた)。 冒頭に少々挿入された日劇ウエスタン・カーニバルの映像は1969年5月5日〜12日に開催された第36回の時のはず(なお、開催日は5月1日〜8日という資料もあるが、東宝による日劇上演リスト等には5月5日〜12日と記載されている)。 沢田研二主演映画が企画されているという情報もあったが、結局タイガース主演映画第3作が製作された。 また、当初のタイトルは『ヤー・ヤー・ロンドン』だったようだ。 なお、このエンディングで『太陽のロマンス』という映画の看板らしき前でのショットが見られるが、当初はそんな映画の予定でもあったのだろうか。 このロンドン滞在中に、タイガースのメンバーは当地の日本料理店でローリング・ストーンズのミック・ジャガーに出くわしたことがあったようだが、その時期のストーンズはオリジナル・メンバーのブライアン・ジョーンズからミック・テイラーへメンバー・チェンジしてサウンドの再構築を図り、この1969年5月にはパワフルなシングル「ホンキー・トンク・ウィメン」をレコーディング(同曲は後にタイガースもライヴで演奏)、6月〜7月にはアルバム『レット・イット・ブリード』等に収録される曲のセッションを行なっていた。 6月13日には、この映画でも撮影されている公園ハイド・パークでミック・テイラー加入の記者会見が行なわれたが、脱退したブライアンが7月3日に突然死亡、7月5日に予定されていた同じくハイド・パークでのフリー・コンサートは追悼コンサートとして開催されることになった(このコンサートの模様はビデオ化されている)。 タイガースのロンドン来訪が1か月遅かったら、このストーンズのライヴも(外側からでも)撮影されたに違いないと考えると興味深い。 →ちなみに、クリーム解散後にエリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカー、リック・グレッチ、そしてスティーヴ・ウィンウッドが結成したブラインド・フェイスのハイド・パークでのライヴは6月7日(のはず)に開催されていたので、帰国前ギリギリに遭遇した? ちなみにビートルズは、後にアルバム『レット・イット・ビー』となるセッションを1969年初めに開始、映画にもなったロンドンのアップル・ビル屋上でのライヴは1月30日に行なわれているが、これらのレコーディングからは4月にシングル「ゲット・バック」が発売されただけで、レコード化は進まず、映画 『レット・イット・ビー』でも分かるように、メンバーの人間関係は解散寸前の状態だった(関係者以外、当時は誰もそんなことは考えもしなかったが)。 しかし、一念奮起しての新しいレコーディング(アルバム『アビー・ロード』となったもの)が4月から始められた。 タイガースがロンドンで映画を撮影していた6月中はビートルズのメンバーは長い休暇中だったが、7月から集中的にセッションが行なわれた(有名な、横断歩道を歩く『アビー・ロード』のジャケット写真は、1969年8月8日午前10時から録音スタジオの前の道で10分間で撮影されたという)。 『アビー・ロード』は傑作となったが、結局それがバンドとしてのビートルズ最後のまとまった録音になった(後の1970年に、結果的にはビートルズのラスト・アルバムとなった『レット・イット・ビー』として発売された音源は、実はほとんどが『アビー・ロード』用のセッション以前に録音されていたもの)。 このように、1962年のビートルズのデビュー以降、若者文化・風俗の中心に位置したはずのロック音楽の怒涛のような発展が見られた1960年代だったが、その最後の年はロック史における正に節目となる年だったのだ(この1年後には、もはやビートルズは実質的には存在していない)。 その年に我らがタイガースをロンドンへ出向かせるという企画自体には鋭さがあったと思うが、実際に出来上がった映画では、ビー・ジーズのバリー・ギブの友情出演や当時のロンドンの若者風俗等は目を引くとはいえ、それはやはり絵ハガキ的な美しい風景としてしか捉えらず、観光映画に終わってしまったように思われる。 また、この映画でのタイガースの音源はレコード・テイクがほとんどで(一部ヴォーカル部分に違いがある曲でも、バック演奏は同一のはず)、前作までの映画には少なからずあった音源的な価値もあまり見出せないのが残念。 |
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