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ジャケット/タイトル パッケージに関するデータ/コメント
曲の内容に関するデータ/コメント
シングル:僕のマリー

A面
僕のマリー
B面
こっちを向いて



シングルのジャケットと同一の衣裳
当時の雑誌広告
バンドの紹介が「フォーク・ロック・グループ」となっているが、タイガースのデビュー時期には、まだ「グループ・サウンズ」という呼び方は無かったのである
シングル 1967年 2月 5日発売
[発売日は、以降のレコードでは資料によって食い違うケースもありますが、このデビュー・シングルに関しては、この日付で統一されています]
レーベル:ポリドール(発売:日本グラモフォン)
レコード番号:SDP-2001 価格:\370

また、現品は未確認のままですが、カタログなどの文字資料から、以下の再プレスがあると判断されます。
1) 番号:DP-2001 \400
2) 1と同じだが、レコード会社名が「ポリドール」に変更されたもの
封筒型ジャケット
ジャケット写真で全員が着ているベージュ色のスーツは、まだ名前が「ファニーズ」の頃に京都会館で開催されたエレキ・バンドのコンテストでローリング・ストーンズの「サティスファクション」を唄って優勝した時の賞金5万円で作った、初めてのユニフォーム。

ジャケット裏面には、歌詩とメンバー5人を紹介したライナー・ノーツ掲載(無署名)。
なお、「全員、年令は18才」と記されている。(間違っているが、もちろん意図的なものでしょう)

Polydorレーベル 見本盤にもタイトル等が印刷されているのが普通だが、これはレコード番号がスタンプで押されているだけの仕様
(通常の盤レーベル) (見本盤レーベル)
僕のマリー [MY MARY] (2分24秒)
作詩=橋本淳/作曲=すぎやまこういち/編曲=すぎやまこういち

1966年12月 1日録音/録音時のタイトルは「マリーの想い出」
[シングル「嘆き」までの録音日に関しては基本的にポリドールの録音日誌によりますが、当方ではその現品にて確認済。
ただし、レコーディングでは、まずバックの演奏を録音し、それをカラオケにしてヴォーカル部分を吹き込んでいたはずですが、この日誌はシンプルなものなので、演奏だけなのか、ヴォーカルが入れられた日なのか、それとも両方が続けて録音されたものなのか等の詳細は、ハッキリ分かりません]

リード・ヴォーカルは沢田研二

この曲のそれぞれ異なるライヴ・テイク(メドレーの一部も含む)が、当時のタイガースの『オン・ステージ』『A GO! GO! 〜チャリティショー』『フィナーレ』、再結成タイガースの『サヨナラ日劇ウエスタンカーニバル』『1982 LIVE』『A-LIVE』に収録。
また、沢田研二のライヴ・アルバム『ジュリーIII リサイタル(1971年/日生劇場)』『リサイタル(1977年/NHKホール)』でも唄われている。

ゲストで映画に初出演した『ドリフターズですよ!前進前進また前進』では「シーサイド・バウンド」と「モナリザの微笑」を唄うシーンはあるが、この曲はラジオから流れてくるというだけの使われ方だった。
だが、その後のタイガース主演映画 『世界はボクらを待っている』では、唄うシーンを観ることが出来る。映画ページ参照
こっちを向いて [LET ME SEE YOU BABY] (3分03秒)
作詩=橋本淳/作曲=すぎやまこういち/編曲=すぎやまこういち

1966年12月 4日録音
リード・ヴォーカルは岸部修三

この曲のライヴ・テイクがレコードに収録されたことはないが、武道館での歌唱シーンがある映画 『世界はボクらを待っている』では、ジュリーがUFOに閉じ込められているので残りの4人で唄うしかないという、無理のない使われ方だった(脚本がうまい!)。映画ページ参照
[欄外コラム(1)] 「こっちを向いて」は何故ジュリーがリード・ヴォーカルではないのか こちらにて
作成を進めていく途中で、(当方で確定できない)様々な疑問点が生まれてきました。
各ページ内で触れる場合もありますが、触れきれない部分はこちらのコラム欄で取り上げます。
当方が未見の記事や関係者の証言等で、(当方にとって)納得できる結論が導き出されるまで、
疑問のまま問題提起しておきたいと思います。
(一応、当方が考える仮説も提出しておきますが、もちろん解決したら、それを掲載します)
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