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タイトル/ジャケット | パッケージに関するデータ/コメント | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ザ・タイガース・サウンズ イン・コロシアム THE TIGERS SOUNDS IN COLOSSSEUM
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[LP] 1971年 2月20日発売 *なお、タイガースのLP『フィナーレ』の添付ブックレット記載のディスコグラフィーでは「1970年 2月20日発売」とミスプリントされていたので、それを孫引きした(はずの)資料では、同様に発売年が間違っている レーベル:ポリドール(発売:日本グラモフォン) レコード番号:MP 9361/9362 価格:\3000 見開きジャケット。 デザインは収録されたコンサート当日に撮影した写真フィルムを並べたものだが、必ずしも撮影順に並んではいない。 なお、再発盤では個別の写真31枚分が差し替えられた(下記の再発盤参照)。 また、後にリリースされたアルバム『タイガース・フィナーレ』の付録ブックレットの表紙も同じコンセプトだった。 LP6面サイズの大型カラー・ポスター(右の写真)、およびLPサイズのピンナップ5枚付(各メンバー別、下の上段写真)。 歌詩カードに下記の英文クレジット有(カッコ内は当方で注記)。 PRODUCED BY KUNI NAKAI(中井國二), IKUZO ORITA(折田育造), YUKIO SASAKI (佐々木幸男)&THE TIGERS MIXED BY KINICHIRO MAEDA(前田欣一郎) A.D.&DESIGN BY NOBUO HIRONO(廣野展生) PHOTOGRAPHY BY TADASHI MUTO(武藤義) オリコンのLPチャートでは最高 3位。 ランクイン中の売り上げ枚数は37,000枚。 また、現品は未確認ですが、カタログなどの文字資料から、1971年11月頃以降、 上記盤と同じだがレコード会社名が「ポリドール」に変更された再プレスがあると判断されます。
[LP] 1974年 1月21日 ポリドール 番号:MR 9130/9131 \3300 帯は、この再発用のデザイン(左欄参照)で、日本語タイトルは「ザ・タイガース・イン・コロシアム」と「サウンズ」が抜けている。 ジャケット・デザインは上記オリジナル盤と基本的には同じなのだが、よく見ると個別の写真の一部が異なっている! あちこち合計で31枚が差し替わっているが、その理由は不明。 なお、右下隅の「ポリドール」のロゴもオリジナル版は黒地に白抜きだが、この再発盤では本来の赤地のものになっている(右写真参照)。 また、見開き内側の写真は上下が逆に配置。 写真の鮮明度は再発盤の方が良好だ。 ポスターは付いていないが、メンバー各自のカラー・ポートレートは添付。 ただし、その写真はオリジナル盤のものとはまったく異なる(上の下段参照)。 先に発売されていた編集アルバム『タイガース・アゲイン』の付録ポスターと同じセンスの写真。 [カセット] 1974年 1月21日 ポリドール 番号:CR8503 上記1974年のLP再発に呼応したはずのカセットテープ版。 ただし文字資料によるもので、現品は手元にありません。 なお、その資料によると収録曲の「ドック・オブ・ザ・ベイ」のみカットされているようなのだが…。 また、これ以外のこのアルバムのカセット版の発売状況については、手元に資料がありません。 [以下、CDでの再発売] [CD] 1990年12月21日 ポリドール 番号:POCH-1056/1057 パッケージは何故か再発LPでのジャケット写真を使用。 ブックレット内のメンバー写真も再発LPに付いていたポートレートの方を使っている。 このボックスセットでは他のアルバムも(それらはデザインは同一でも)再発時のジャケットを基に作成されたようだが、その理由は不明。 2枚組用のプラスチック・ケースは厚手タイプ。 なおCDでは、LPのA/C面の最後とB/D面の最初の歓声部分がそれぞれ編集でつなげられており、ブランクはない(以下同)。 [CD] 1995年 2月25日 ポリドール 番号:POCH-1479/1480 税込\3000 『タイガース・オン・ステージ』『世界はボクらを待っている』『ヒューマン・ルネッサンス』『自由と憧れと友情』が再発された1992年の「GS 25th ANNIVERSARY」シリーズではリリースされなかったので、これが単体では初のCD化。 各社が当時プロモートした廉価な「Q盤」シリーズ(ポリドールでは「CD極上音楽」、略して「CD極楽」シリーズ)の1枚としてリリース(厳密には、その第2期の「新CD極楽」シリーズとして『自由と憧れと友情』『フィナーレ』『レジェンド』と共に再発された)。 この再発盤より、パッケージの写真は初版LPのジャケットを使用(ただし、この時は見開きジャケット内の写真再現は不完全)。 2枚組用のプラスチック・ケースは薄型。 また、もともと無かったのだが、このCD用にもライナーは書かれなかった。 添付カードには歌詩のみ掲載。 [CD] 2000年 6月28日 ポリドール(販売:ユニバーサルミュージック) 番号:POCH-9037/9038 『パーフェクトCDボックス〜ミレニアム・エディション』の1枚。 オリジナルLPに付いていたメンバーのポートレートの写真は、このボックスセット付属のLPサイズのブックレットに収録されている(ただし、ジュリー以外は縮小版)。 また、再発盤でのポートレート写真もブックレット内にモノクロで掲載。 パッケージ写真は初版LPのジャケット使用(見開きジャケット内の写真も再現)。 パッケージの透明トレイの下部分には初版LPに付いていたポスターの一部も使われている。 2枚組用のプラスチック・ケースは薄型。 [CD] 2002年 4月24日 ポリドール(制作:ユニバーサル ポリドール/発売:ユニバーサル ミュージック/販売:ビクターエンタテインメント) 番号:UPCH-9021/9022 税込\3999 タイガースのデビュー35周年記念として、オリジナルのLPパッケージを CDサイズで復刻した見開き紙ジャケット仕様。 初版に付いていた大型ポスターと5種類のメンバー・ポートレート(これも初版の方の写真)、歌詩カードも同縮尺で再現(それぞれの色地も紙質もオリジナルに限りなく近い!)、帯も初版のデザインを取り入れている(右上写真)。 加えて、歌詩等を再掲載した別紙カード添付(特に外国曲の作者クレジットは修正されている)。 ただし、この時に再発された他アルバム同様、やはりライナーは書かれなかった。 |
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レコーディング・データ等 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
田園コロシアム(東京・大田区)でのライヴ録音 *実は、当店の住所も東京都大田区なのですが、まったく文化圏は異なり、あの田園調布地域に田園コロシアムは存在していたのです… 録音日=1970年 8月22日(土曜日) ちなみに、タイガースの初ワンマン・リサイタル(後に『ザ・タイガース・オン・ステージ』としてタイガースの初LPにもなった)が開催された日も同じ 8月22日だった。 これは偶然の一致というよりも、タイガース側が記念日として、この日にスケジュールを組んだものだろう。 なお、クレジットはされていないが、レコードでのMCによると、かまやつひろしとクニ河内が参加。 クニ河内は「ラヴ・ラヴ・ラヴ」のオルガンを担当と紹介されるが、それ以外の曲への具体的な参加は明らかではない。 また、かまやつひろしのヴォーカルは「ホワッド・アイ・セイ」で確認できるが、やはりそれ以外の参加状況は不明。 |
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曲の内容に関するデータ/コメント | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
内容は、前半が外国曲のカヴァー、後半はタイガースのオリジナル中心という構成。 ちなみに、当日のコンサートはTV放映されたはずの映像が残されている。 白黒・モノラルで全部収録されている訳ではないが、前座のハプニングス・フォー、アラン・メリル、ロック・パイロットの演奏も見ることが出来る。 歴史的にも貴重なものと思われるが、残念ながら、今のところソフト化は見送られている。 タイガースに限らず、GSや日本のロック・バンドの究極の憧れだったはずのローリング・ストーンズの2曲でスタート(ちなみに「ホンキー・トンク・ウィメン」でのオープニングは、ストーンズ自身の後の1975/6年ツアーを先取り?)。 この2曲は前年1969年のストーンズのツアーでも取り上げられていた。 その時のライヴ盤『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』は欧米でも1970年9月発売なので、このタイガースのコンサート時点では入手出来なかったとはいえ、ストーンズ最初の海賊盤と言われる同ツアーのライヴ『LIVER THAN YOU'LL EVER BE』は先に出回っていたはずなので、タイガースがそれを聴いていた可能性は高いと思われる。 実際、「ホンキー・トンク・ウィメン」は、カウベル?とドラムスのイントロで始まるのはスタジオ・テイクと同じだが、全体的にはダルな感じのライヴ版を意識しているようだ。 また「サティスファクション」は同海賊盤にも未収録だったせいか、ここでの演奏はストーンズのアルバム『ゴット・ライヴ・イフ・ユー・ウォント・イット!』で聴ける1966年のライヴと同じアレンジ。 要するにタイガースの『パーフェクトCDボックス ミレニアム・エディション』に収録されたCD『THE TIGERES A GO! GO!』での1967年当時のライヴ・ヴァージョンと何ら変わっていない。 歌詩の2番部分をカットしているのも同様。 次の「スージー・Q」はストーンズもカヴァーしていたが、ここでは当時日本でも人気絶頂のクリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのカヴァー・ヴァージョンに沿った演奏で、同じくクリーデンスのカヴァーによる「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー」「コットン・フィールズ」や彼らのオリジナル曲「トラベリン・バンド」も取り上げられている。 後半で演奏されるグランド・ファンク・レイルロード(「エニーバディズ・アンサー」「ハート・ブレイカー」)と共に、当時の特に日本でのロック・ヒーローのトレンドをダイレクトに反映した選曲と言えるだろう。 また、各メンバーが選曲したはずのリード・ヴォーカルを取る曲もまた、それぞれの音楽の嗜好がうかがえて興味深いものがある。 森本太郎の「ルート66」は、意識せざるを得ないはずのストーンズのカヴァー・ヴァージョンにベッタリしないところが、むしろユニークだ。 ちなみに、ストーンズが参考にした同曲のチャック・ベリー版のスタイルではなく、イントロ等はストーンズがカヴァーした同じチャック・ベリーの「かわいいキャロル」風。 この曲をストーンズは以前レコード化していたが、1969年のツアーでも取り上げた。 前述のように同ツアーの正規ライヴ盤以前に出回っていた海賊盤『LIVER THAN YOU'LL EVER BE』をタイガースが入手していた可能性は高いが、そのレコードはこの曲で始まるので印象が強く、そこで閃いたのかも…。 一方、ヴォーカルやコーラスはアメリカのTV映画『ルート66』の主演者ジョージ・マハリスが唄ってリヴァイヴァル・ヒットしたヴァージョンによっていると思われる。 岸部修三はやはり黒っぽいサウンドが好みだったようで、オーティス・レディングの(死後の)大ヒット曲「ドック・オヴ・ザ・ベイ」を気持良さそうに唄う(なお、ジュリーの曲紹介MCでは下記に掲載した当時の日本盤シングルのように「ドック・オヴ・ベイ」で「ザ」が欠けている)。 岸部シローのビー・ジーズ・ナンバーや、ホッと一息つかせる唯一のアコースティック・セットのドノヴァン「ラレーニア」は、この人の定番であるし(ちなみに、同曲の演奏・コーラスはタイガースのメンバーではなく、解散後に一緒に組むことになるブレッド&バターだった)、瞳みのるは当時のロック・トレンドとは関係なく、ノリのいいポップ・ソング「ルーキー・ルーキー」を嬉々として唄っているようだ。 そして沢田研二が個人的に選んだのだろうフランスのアダモの曲「ヘイ・ジュテーム」は、ソロになってからの1971年12月のライヴ録音もある(『ジュリーIII リサイタル』)。 あと「監獄ロック」はエルヴィス・プレスリーの代表的ヒット曲の1つだが、ここでの演奏はジェフ・ベック・グループ(この時のリード・ヴォーカルはロッド・スチュワート)が1969年にリヴァイバルしたハード・ロック・ヴァージョンによるもの。 また、レイ・チャールズの代表作「ホワッド・アイ・セイ」は当時の話題曲という訳ではないが、各人のヴォーカルの掛け合いで盛り上がるライヴならではの定番曲で、『フィナーレ』で聴けるようにラスト・コンサートでのハイライトと言うべき瞳みのるのリード・ヴォーカル曲「ヘンリー8世君」の途中でも唄われた(⇒これは、ライチャス・ブラザーズの「ジャスティン」?)。 また、後のジュリーのライヴ・アルバムでも、2度取り上げられている(1972年の『ジュリーV 日生リサイタル』と1975年の『比叡山フリーコンサート』)。
上記のジャケットの並びを見ても分かるように、当時の幅広いロック系ヒット全集を聴いているようなもので、ホンモノの代替としては楽しめるし、単なるコピーではなくタイガース独自のアレンジも施されている等、大いに音楽的主張も感じられはするのだが、しかし、当たり前のように、ストーンズやクリーデンスやグランド・ファンクはビー・ジーズの曲は取り上げないし、ビー・ジーズもアダモの曲を唄うはずはないと考えると、タイガースの自発的なバンドとしての音楽性は首尾一貫していないと指摘出来るのではないだろうか(もっとも、それはほとんどのGSに共通する特徴であり、だからこそGSは面白い、とも言えるのだが…)。 また、ちょうどタイガースが解散した1971年初頭以降、本場のロック・バンドの来日ラッシュが始まり(グランド・ファンクの雨の後楽園スタジアムやピンク・フロイドの霧の箱根アフロディーテ・コンサートもこの年の夏、大物レッド・ツェッペリンも秋に初来日。 その後数年で、ストーンズ以外の主要ロック・アーティストのほとんどが来日することになる)、したがって外国ロック曲のカヴァー演奏は、トリビュート的な姿勢や自己の音楽的ルーツを示してリスペクトすること以外にはあまり意味が無くなった。 一方、日本のオリジナル英語ロック系?の最右翼フラワー・トラヴェリン・バンドは、この時期に海外進出してある程度の成果を上げていたし、現在では日本(語)ロックの金字塔と評価されることになった、はっぴいえんどのアルバム『風街ろまん』がリリースされたのも、この年の秋だった(ちなみに、当方でディスコグラフィーを作成している「ガロ」のレコード・デビューもこの年で、作っている順番は逆ですが、タイガース〜ガロはまったく無関係でもないと思っている訳です)。 さらに、夏に中津川で開催された『第3回全日本フォーク・ジャンボリー』で吉田拓郎が鮮烈に存在をアピールし、翌年「結婚しようよ」を大ヒットさせる等、この1971年は日本ロック(&フォーク)史の分水嶺と言うべき年であったのだが、そうした大きく変わった流れの中でのタイガースの姿を想像すると、やはり大いなる違和感があるので、その前に解散したのは賢明だったと思う。 もちろん、そうした新しい音楽の潮流に乗るはずのニュー・バンドPYG(沢田研二と岸部修三が参加)が受け入れられなかったのは、PYGが示した音楽性とは関係なく、想定したリスナー側が(PYGの他のメンバーの前のグループであったスパイダースやテンプターズではなく)アンチとするべきメジャー業界の大物・タイガースの影をこそ感じた故であっただろう。 また、これもまたスパイダースやテンプターズのファン以上に、タイガースのファンの論理で、PYGは「純正タイガース」に対する裏切りと捉えられたことが大きかったと思われる。 それは、正に自分たちが捧げた青春時代そのものに対する絶望的な裏切りに思えたに違いない。 熱心なファンほど保守的な傾向を持つものなのだから、思い入れほどに反発もまた強かったはずだ。 さて、このアルバムがリリースされたのは1971年2月20日だが、その1か月前にタイガースは解散していた訳だから、この時の購買者は「解散コンサート」のライヴ盤の代用品と捉えたに違いない(レコードの最終曲「ラヴ・ラヴ・ラヴ」でのジュリーのMCを聴くと、すでに解散が決定しているというニュアンスも感じられるので、思わず解散コンサートの録音かと錯覚してしまう)。 もっとも、そうした暗黙の了解を前提としてリリースされた記念品的なアルバムだったはずだが、発売の予定が元々あって録音されたものかどうかは不明。 この時に撮影されたライヴ・フィルムが『田園コロシアム ザ・タイガース・ショー』というタイトルで前年の11月頃からファンクラブ用に上映されたようだが、そのサントラ編集用にでも録音していた音源を、解散後の旬の内にということで、急いで商品化したということも考えられると思う。 が、このタイミングは実に的確だったようで、オリコンのLPチャートでは最高3位と、記録が残っているタイガースのアルバム中ではもっとも高い位置にランクインし、売り上げ枚数は37,000枚。 ちなみに、この後の7月に発売されたラスト・コンサートのライヴ盤『フィナーレ』は最高ランクは10位だったが、ランクイン中の売り上げ枚数は36,000枚だった。おそらく、ほとんど同じ人がどちらも買ったと思われるのだが、それはタイガースで2度商売しようとした(はずの)リリース側の狙い通りと言えるのではないだろうか(とはいえ、1969年発売の沢田研二のソロ・アルバム『ジュリー』の売り上げ枚数69,000枚という数字と比較するならば、解散という不幸で商売するものだからとファンの多数は歓迎しなかった、とも指摘し得るが)。 もっとも、あくまでラスト・ライヴではないので、内容的にも、受ける印象も、『フィナーレ』ほど感傷的ではない。 演奏も録音も荒い感じだが、特に岸部修三のベースが『フィナーレ』より目立つ。 一方、レコードでは同じ左チャンネルに配置された岸部シローのサイド・ギターは『フィナーレ』ほどには聴こえない。 レコードのミックス時の按配なのだろうが、こちらのアルバムの方がベースが唸っている分、ロック色は濃い仕上がりと言える。 また、カヴァー以外のタイガースのオリジナルで目を引くのは「坊や歌っておくれ」で、当時未レコード化だったとはいえ、おそらくライヴではおなじみのはずのメンバー自作曲だった(なお、同曲のスタジオ録音未発表テイク「坊や祈っておくれ」は、現在は編集CD『レジェンド』で聴ける)。 それ以外はB面も含むシングル曲のオン・パレードだが、中でも「怒りの鐘を鳴らせ」はもっとも当時のロックっぽい曲で、特に沢田研二と岸部修三のお気に入りだったのではないだろうか。 後のPYGでの岸部修三作詩・沢田研二作曲「やすらぎを求めて」が連想される。 さらには、1年後の1971年8月16日(月曜日)に同じ田園コロシアムで録音されたPYGのライヴ・アルバム『フリー ウィズ PYG』とアルバム全体を聴き較べるのも興味深い。 バンドのテクニック的にはグランド・ファンク程度からレッド・ツェッペリンやディープ・パープル級へとレベル・アップしているのだが…。 |
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