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ジャケット/タイトル パッケージに関するデータ/コメント
曲の内容に関するデータ/コメント
シングル:花・太陽・雨/PYG

PYG(ピッグ)
A面
花・太陽・雨
B面
やすらぎを求めて

ジャケット裏側にはレコーディング風景の写真掲載
(見開きジャケット裏側)
1971年 4月10日発売
レーベル:ポリドール(発売:日本グラモフォン)
レコード番号:DR 1610 価格:\400

同じくタイガースのメンバーだった岸部シローがBREAD&BUTTERと組んでリリースしたファースト・シングル「野生の馬」も、同じレコード会社から同日発売となっているが、そちらのレコード番号はDR 1602であり、つながってはいない。

なお、タイガースのシングルではレコード会社名が「ポリドール」に変更された再プレスがあると判断されますが、このシングルのポリドールになってからの再プレス盤に関しては当方では存在が確認出来ていません。
ジャケット裏側の右下隅に貼られていた小さな価格改定シールただし、価格が\500に移行した際にジャケットの価格部分に貼られた小さなシールがあり、これには「ポリドールK.K」と印刷されています(右の写真)。
見開きジャケット、表側も裏側も黒地・モノクロのデザイン

見開きジャケット内側部分も黒地に白抜きの文字
(見開きジャケット内側)
花・太陽・雨 [FLOWER, SUN, RAIN] (4分35秒)
作詩=岸部修三/作曲=井上堯之/編曲=PYG

メンバーの作詩・作曲・編曲なのはもちろん、わざわざジャケットに「PYG 歌と演奏」とクレジットしているのは、グループサウンズ時代の演奏テクニックの非力という負のイメージを払拭しようとする姿勢の現われだと思える。
また、シングル曲としては長すぎる演奏時間も、ヒットを狙うことよりは、自らの志向する音楽への意欲を形にしたものだったろう。
(ちなみに、タイガースの最も長いシングル曲は「都会」のB面に収録された4分13秒の「怒りの鐘を鳴らせ」だったが、同曲はこのPYGのシングルAB面の2曲に影響を与えている気もする)

ジュリーとショーケンの競り合うツイン・リード・ヴォーカル・スタイルを期待したが、実際にはコーラス・ワーク風のヴォーカル構成だった。 しかし、中でもジュリーのヴォーカルが、やはり目立つ。

冒頭で聴かれる(除夜?の)鐘の音は、欧米では1970年12月に発売されていたビートルズ解散後のジョン・レノンのソロ・アルバム『ジョンの魂(JOHN LENNON/PLASTICK ONO BAND)』の収録曲(でシングルでも発売された)「マザー」の影響だろうが、前述したようにタイガースのシングルB面曲「怒りの鐘を鳴らせ」でも冒頭に鐘の音がフィーチャーされていた(音色は異なるが)。

オリコン・チャートでは最高30位。 ランクイン中の売り上げ枚数80,000枚。
これはタイガースのラスト・シングル「誓いの明日」18位、57,000枚、テンプターズの最後から2枚目のシングル「出来るかい出来るかい」79位、3,000枚(最後のシングル「若者よ愛を忘れるな」は100位以内に入らなかった)、そしてスパイダースのラスト・シングル「エレクトリックおばあちゃん」67位、32,000枚、等に較べるとヒドい数字ではないとも言えるが、他のGS出身者では、堺正章(スパイダース)の1971年5月1日発売の「さらば恋人」2位、529,000枚、同じくスパイダースの井上順之の同年4月25日発売のシングル「昨日・今日・明日」7位、316,000枚、等の数字とは較べものにならない。

だが当時、何といっても強力だったのは、むしろGS時代にはパッとしなかったグループの出身の人達の方で、同年3月5日発売の尾崎紀世彦(ワンダース)「また逢う日まで」1位!、956,000枚や、同年4月1日発売の湯原昌幸(スウィング・ウエスト)の「雨のバラード」1位!、619,000枚が大いに目立つ。

さて、この曲は同年8月10日に発売されるファースト・アルバム『PYG!』にも収録されたが、そちらはジュリーのリード・ヴォーカルと言っていい、5分を超える別テイク。
また、後の沢田研二のライヴ・アルバム『比叡山フリーコンサート』(1975年)でも唄われている。

この曲のアルバム・ヴァージョンは1989年6月25日に(アルバム丸ごと)CD化されたが、1992年11月26日リリースのオムニバスCD 『ソングライター・ルネサンス-ポリドール・エディション-ロック編』(ポリドール/POCH-1165)に収録されたのも同じアルバム・ヴァージョンだったので、シングル・ヴァージョンの方のCD化となると(当方の手元にあるものでは)1998年4月21日発売のオムニバスCD 『栄光のグループ・サウンズ 3』(バンダイ/APCA-214)が最初かと思われます。
ただし、PYG音源2曲「花・太陽・雨」「自由に歩いて愛して」を含むCD 『ザ・タイガース II 』(ポリグラム/DCI 86445)が手元にあり、これは1994年にはリリースされていたようですが、いささか発売経緯がハッキリしていません…。 また、それ以前に他の通販系のオムニバス・セット等の中に収録されていた可能性もありますが、確認出来ていません。
なお、その後は1998年12月16日リリースのCD 『PYG ヒット・コレクション』(ワーナーミュージック/WPC7-8586)、1999年3月25日発売のオムニバスCD 『ニューロックの夜明け・番外編/ポリドール・ニューロック・シングル集 自由に歩いて愛して』(ブルース・インターアクションズ=ポリグラム/PCD-1468)にもシングル・ヴァージョンが収録されている。

さらに、その後リリースされたCD 『PYG ゴールデン・ベスト』(2004年2月25日発売/ユニバーサル ミュージック/UICZ-6050)にもシングル(およびアルバム)・ヴァージョンが収録されている。
やすらぎを求めて [NO LONGER ON THE EARTH] (5分53秒)
作詩=岸部修三/作曲=沢田研二/編曲=PYG

こちらはジュリーのリード・ヴォーカルと言っていいが、中間の展開部分で聴かれる岸部修三の低音コーラスが耳に残る。

A面同様、同年8月10日発売のファースト・アルバム『PYG!』に収録されたが、そこでは別テイクの10分近いロング・ヴァージョン。
また、後の沢田研二のライヴ・アルバム『ジュリーVII The 3rd リサイタル(1973年/中野サンプラザ)』でも、「怒りの鐘を鳴らせ」と共に唄われている。

A面同様、この曲のアルバム・ヴァージョンは1989年6月25日に(アルバム丸ごと)CD化されたが、このシングル・ヴァージョンの方の初CD化は、1998年12月16日リリースのCD 『PYG ヒット・コレクション』(ワーナーミュージック/WPC7-8586)ということになるはず。

その後リリースされたCD 『PYG ゴールデン・ベスト』(2004年2月25日発売/ユニバーサル ミュージック/UICZ-6050)にはシングルおよびアルバム・ヴァージョンが両方とも収録されている。
PYGはグループサウンズの代表的人気グループだったザ・タイガースから沢田研二(ヴォーカル)と岸部修三(ベース)、ザ・テンプターズから萩原健一(ヴォーカル)と大口広司(ドラムス)、ザ・スパイダースから井上堯之(ギター)と大野克夫(キーボード)と、各2人ずつ参加したバンドだったが、何といってもGSアイドルのトップを競ったジュリーとショーケン(萩原健一)が加わったことが良くも悪くもバンドのパブリック・イメージを決定づけたと言っていい。

ところが、このシングル第1作「花・太陽・雨」の、そうしたアイドル的な従来のGSイメージを覆すことを何より優先したと思える曲調が、前述のバンドのパブリック・イメージとはミスマッチで、むしろ逆効果だった気もする。
また、PYG(豚=PIGの綴りをBIRDSがBYRDSとしたように代えたもの)というバンド名も、メンバーの出自を考えれば秀逸なのだが、受け取り手側には真意が上手く伝わらなかったはずだ。
(なお、当方で同じくディスコグラフィーを作成しているガロと関連ある話で、「ガロ」の命名者はタイガースの中井國二マネージャーだったとのことですが、その際の候補として「ガロ(我郎)」と「PYG」が提示され、メンバーは「豚」じゃ嫌だと「ガロ」の方を採った…らしい。 それは、1970年後半頃のことと思えるが、それが本当ならば、このバンド名「PYG」は当初よりの必然的なものではなく、単に残りものだったのかもしれませんが)

さて、右欄に記載したようにヒット・チャートでの成績は明らかに振るわなかったが、GS時代は終焉していたとはいえ、同時期のGS出身者のメガヒットとなった「また逢う日まで」も「雨のバラード」も、もともとGS時代に書かれた曲だったのだ(「雨のバラード」は湯原自身が在籍したスウィング・ウエストでもチャートインした曲のリバイバルだったし、「また逢う日まで」もズー・ニー・ヴーの「ひとりの悲しみ」をリメイクしたもの)。
日本の大衆は変化は嫌いではないが、その急激な変わりようには大きな抵抗感を持つのではないだろうか。

一方で、商業的にはともかく、フォー・ナイン・エースのジョー山中、ビーバーズの石間秀樹、タックスマンの上月淳、フラワーズの和田ジョージと、タイガース等とは天地の差があったGSの出身者が結成したフラワー・トラヴェリン・バンドのアルバム『SATORI 』(1971年4月発売)やフィンガーズの成毛滋がつのだひろと組んだストロベリー・パスのアルバム『大烏が地球にやって来た日』(同年6月発売、つのだひろ名義で知られる名曲「メリー・ジェーン」は、もともとここに収録)等が、日本のロック・ファンには(賛否両論があったにしても)熱く支持されていた。

さらに当時は、GSを含む従来の芸能・音楽界とは違うベクトルで出現して来た吉田拓郎や、はっぴいえんど等のブレイク寸前の時期でもあった。

夢のような1960年代後半に栄華を極めたGSトップ・スター達の(その後の)象徴的存在であったPYGは、当時の大きく変化しつつあった音楽的トレンドの狭間で、その過去の人気こそが重石となって、従来の支持を失い、また新しい音楽ファンも獲得出来ないというジレンマに陥っていたと言えるだろう。
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