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ジャケット/タイトル | パッケージに関するデータ/コメント | 曲の内容に関するデータ/コメント | ||||||
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1970年 3月20日発売 レーベル:ポリドール(発売:日本グラモフォン) レコード番号:DP-2070 価格:\400 また、現品は未確認のままですが、レコード会社名が「ポリドール」に変更された再プレスがあると判断されます。 封筒型ジャケットで、裏面には歌詩掲載
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都会 [SOLITUDE IN THE CITY] (3分16秒) 作詩=山上路夫/作曲=クニ河内/編曲=クニ河内 録音日は1970年 2月21日とのこと(森本太郎の日記より)。 リード・ヴォーカルは沢田研二。 B面共に、タイガースと同じ渡辺プロ所属の実力派GS、ハプニングス・フォーのクニ河内が作曲した初のタイガース・シングルだが、同年2月1日に発売されていたサリー&シロー名義のアルバム『トラ 70619』では、すでにクニ河内の手掛けた曲「自由の哲学」「しま模様の空」が取り上げられていた。 オリコン・チャートでは最高10位。 ランクイン中の売り上げ枚数は144,000枚。 また、1970年の国家的一大イベントであった日本万国博の関連企画の1つとして『全国ヤング歌謡フェスティバル/決勝大会』が 5月9日(土曜日)に万博ホールで開催されたが、そこでは「フェスティバル賞」を受賞した(この日付が森本太郎の日記では5月10日となっているが間違いでしょう)。 [ちなみに、この時のグランプリは布施明「愛は不死鳥」だったが、森進一「恋ひとすじ」や内山田洋とクール・ファイブ「愛の旅路を」等、いずれも渡辺プロ所属の歌手間で接戦を演じた(しかし、どうも「ヤング」の冠とは、いささか違和感があります…)。 なお、渡辺プロ以外の橋幸夫やスパイダースも参加したとはいえ、渡辺美佐がプロデューサーだったこともあってか、やはり渡辺プロ色が濃かったようだ。 しかし、一般人気投票ではスパイダースがタイガースを抑えるという番狂わせ(?)が生じた。 結局、タイガースが受賞した「フェスティバル賞」とは、タイガースを無冠に終わらせない為の、いわば名目上の賞だったと思われるのだが] この曲のそれぞれ異なるライヴ・テイクが、当時のタイガースの『サウンズ・イン・コロシアム』と『フィナーレ』(ただし、2000年発売の『パーフェクトCDボックス ミレニアム・エディション』収録版)に収録。 また、沢田研二のライヴ・アルバム『ジュリーIII リサイタル(1971年/日生劇場)』でも、タイガース・メドレーの一部として唄われている。 怒りの鐘を鳴らせ [RING THE BELL OF ANGER] (4分13秒) 作詩=山上路夫/作曲=クニ河内/編曲=クニ河内 1970年 2月録音(月の初頭と言われるが、日付は不明)。 リード・ヴォーカルは沢田研二。 この曲のライヴ・テイクが、当時のタイガースの『サウンズ・イン・コロシアム』に収録。 また、タイガースの解散コンサートでも唄われたが、その時のライヴ・アルバム『フィナーレ』には未収録。 なお、沢田研二のライヴ・アルバム『ジュリーVII The 3rd リサイタル(1973年/中野サンプラザ)』でも唄われている。 |
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しかし、テンプターズの「純愛」をBGMにした別の項目では、少女たちがグループサウンズに熱狂する様子が映し出され、加橋かつみ在籍時のタイガースの初期と思われる頃の映像も、わずかながら現われる。 モノクロで音が伴なわない映像とはいえ、特にオフ・ステージでのファンの狂騒振りは(当然ながら)リアルだ。 なお、こうしたニュース映画(と思われる)の画像としては、『週刊平凡 秘蔵フィルム大公開 スタアの40年』(VHS=TE-M670、企画・制作=マガジンハウス、発売=東映)というビデオにも、初期タイガースのステージの模様が収録されていた(10秒程の断片で、やはりモノクロ、BGMはブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」だったが)。 |
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